夕暮れ空の下のショパン像

十月も末のワルシャワの街。その歴史ある街の一角に、それは広々としたワジェンキ公園がある。 正面の入り口から中に入ると、静かに腰掛、目を優しく閉じた大きなショパン像に出会う。゛柳の下の ショパン〟という名で知られる像だ。過ぎ行くときの流れの中、来る日も来る日も、彼は、その清純な おもむきで、行きかう人々を見守ってきた。
オクリニク通りにあるショパンアカデミーを出ると楽譜を片手に私は、この公園へと足を運ばせた、秋 のワルシャワは、ひときわセンチメンタルだ。石畳の通りには小さな花屋さんが並ぶ。色あせたパラソル の下に、それは色とりどりの花があふれている。その横には、店番の人が一人ひっそりと座っている フルーツを売っている人もいる。コーナーにある小さなキオスクでは、地下鉄やトラムの切符を買う人々 の列があり、その中に、チョコレートを買ってほしいとおねだりをする子供の姿もある。教会を横切ると、 慎み深い身なりで人々が出入りしている。私が行くこの新世界通りも、第二次世界大戦時は、ドイツ軍 の火炎放射器で、すっかり焼け野原になってしまったという。
 この街には、激しい歴史の荒波の中を生き抜いてきたポーランドの人達の精神力と、この国の生んだ ポーランドの魂があらゆるところに宿っていることを、私は感じていた。今このように、当時のまま再建 されたワルシャワの町並みには、故郷を愛するポーランドの人々の情熱と努力ゆえ、よみがえったもの だ。黒光りするコペルニクス像は、地球儀を手に、その目には、しかと空を見つめ聖十字架教会に 眠るショパンの心臓からは、今なお、まだその鼓動が聞こえてくるようだ。この国の歴史と文化の中で 生まれた、彼らと、また彼らの精神と、心の遺産を敬愛するポーランドの人々の心ゆえ、それらは、今 なお息をしている。
 秋風にさらされながら、私は、夕暮れ前のワジェンキ公園に、たどり着いた。7年ぶりだった。 今回、飛んできた好運で、ショパンアカデミーのパレタ・ブガイ教授から一通の手紙を受け取り、この 約一週間のワルシャワでの勉強の話が決まったのは、あまりに突然のことだった。それから急いで 航空券とホテル、学校からの奨学金の手配をし、そして私は、この地に戻ってきた。ワジェンキ公園の 入り口を、ドキドキする思いで、ゆっくりと中に入った。私の瞳に、あのショパン像が大きく映った。時が 止まったかのように、あの時と変わらず、私を迎えてくれた。目頭が熱くなった。少し前に進み近くの ベンチに座った。先ほどのレッスンで弾いたばかりのショパンのピアノコンチェルト第一番が、体全体に 流れた。しばらく私は、そこに静かに座っていた。走馬灯のように、あらゆることが、吹き返される。流れ るショパンの曲とともに、私の知る、彼の人生と、このワルシャワの歴史、人々の生活・・・そして、また 私の人生と、そこから生まれた無数の記憶と感情、そのすべてが重なり合って、頭の中に響いてくる。 そして、このちっぽけな「私」という一人の人間の小さな命が、この大きな歴史と宇宙の中でこんなに 小さくても、今こうして、まさに生きていることに気が付く。
 ふと空を見上げると、夕暮れが、実に神秘的だった。あわいピンク色の雲に、オレンジとも赤ともピン ク色ともいえる空は、夜の深い青色と混ざり合っている。そして、その空の中に、ショパン像があり、私 もまた、その空の中で座っている。私は思った。『ああ、この空は、世の中のすべてを吸い取っちゃ たんだ・・・きっと・・・。私達の悲しみも喜びも、苦しみも、幸せも、そして、絶望も・・・、夢も・・・、愛も ・・・。』と。本当に、そんな空だった。毎日、この世の中で起こる数々の事を見て、人々の無限の感 情と精神を感じながら、私達を包み続けてきた空・・・。
 街の外灯の灯りが、ともり始めたので、私は、その場を、あとにすることにした。公園を出ても、まだ心 に余韻が残っている。まるでショパンの魂が、私の体をすっと通り抜けてくれたよう・・・。変わり行くワル シャワの秋の夕暮れ空の下を歩きながら、ふと私は手のひらに見えない何かを持っている気がした。ショパンの楽譜とともに、私が抱えていたもの・・・。
     それは、生まれたばかりの何か光り輝く、希望のようだった。
                                    井尻 愛紗    23.06.2003

 

*2002年10月末 ストックホルム王立音楽大学よりワルシャワのショパンアカデミーのセミナーに 参加。 その時の思いより。